あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい
マルコ・アントニオ・マルティネス神父
「あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。」
(コリント人への第一の手紙(口語訳) 12:31)
コンサート&バザーの奉仕者の皆さん、来たる11月9日にコンサート&バザーを行う事に決まりました。実に3年ぶりです。この二つのイベントの収益はわが共同体の為に大きな支えとなるでしょう。今回、委員会と相談の上でオルガン、コピー機、マイクロフォン等のために使いたいとおもいます。ですがどんな大きな収益があっても忘れてはいけない事があります。わたしたちの共同体は聖霊に導かれた共同体です。教会のためになにかやるに、それは奉仕としてやらなければなりません。
これからコンサート&バザーの為に仕事が沢山ありますが大きな仕事でも、小さな仕事でも愛のうちにやりましょう。力仕事のできない信徒の皆さんも、ぜひこのイベントが信仰と喜びの分かち合いの場でありますようにお祈りしてください。
コンサート&バザーの為の仕事の時に聖パウロの愛の讃歌の心でやりましょう。
愛
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
(コリント人への第一の手紙(口語訳) 13:1-13)
「シャローム」2008年10月号掲載