Santo Nino サント・ニーニョ(幼きイエス)
マルコ・アントニオ・マルティネス神父
大勢のスペイン人宣教師達がフィリピンへ渡ったのは18世紀のことです。その頃福音宣教のために使えるテキストはありませんでした。
書籍といえば学者(修道士たちなど)のためで、それも図書館でしか読めません。それに一般の人々は字が読めませんでした。そのため教会を建てるときに、その壁に聖書のいろいろな場面を描きました。その壁に描かれた絵を見れば、字が読めなくても聖書の話しを知ることができました。
宣教師たちは貿易商人たちの船で各宣教地を旅しました。重量オーバーの心配がなかったので、自分の国からイエスさま、マリアさま、また聖人たちのご像をたくさん持って歩きました。持ち運びに便利なように小さなものでした。町や村に入ると歓迎されることもありましたが、歓迎されないこともありました。時には迫害されたり、命の危険に遭うこともありました。逃げる際に背負っていたご像を隠し、後になってこれを見つけた人たちは、何かの奇跡だと思うこともあったようです。
このような話しは日本にもあります。京都の「都の聖母」の話しです。それは比叡山のところで見つかった小さな聖母像です。今でもカテドラルの地下聖堂に置かれています。
フィリピンの教会にはいろいろな信心業があります。そのなかで、最も大事にされているのがサント・ニーニョです。スペイン人の宣教師達はこのサント・ニーニョのご像を通して子供たちやその親類にイエスさまの幼い時の姿を教えました。フィリピンの人たちはこのサント・ニーニョに大変な親しみを持っています。以前から、この千葉寺教会のフィリピン人の共同体から聖堂にサント・ニーニョのご像を置いて欲しいと度々頼まれていました。返事をするまでに随分時間がかかりました。そして置くことにしました。
それはフィリピン人だけでなく、私たち国際的な共同体みんなのためにも役に立つと考えたからです。このサント・ニーニョのご像を見て、たくさんの暗いニュースの中に生活している子供たちに、光と希望を与えてくださいと祈ることは大切なことだと考えました。特にキリスト信者の子供たちの心の中に、幼きイエスさまと同じ心を育てていく必要を感じたからです。
亀岡教会(京都)の門の前に三体の地蔵さまが置かれています。すぐ前が国道で事故の多いところでした。その町の子供たちを事故から守るためにこの地蔵さんが置かれました。そして夏には毎年そのお地蔵さんのお祭りが教会の駐車場で行われます。
日本のカトリック教会では、特に最近では、教会の中にあまりご像を置きません。時代も変わりました。教えのための冊子もたくさんできました。文化が発達しました。でも素直な心でこの幼きイエスさまのご像に出会ってこの千葉寺教会のためにお祈りいたしましょう。わたしがこの教会にいる間だけでなく、いつまでもこのサント・ニーニョのご像をどうか大切にしてください。
「シャローム」2008年07月号掲載