長崎と私
マルコ・アントニオ・マルティネス神父
今回の長崎における188殉教者の列福式が私にとってどれ程心に残る式だったのかということを皆さまにお知らせしたいと思います。
私が8歳(昭和23年)だった頃メキシコの信徒の中に、日本26聖殉教者の一人でメキシコ人である聖フェリペのためにメキシコ人の手で長崎に教会を建てようという活動がありました。空き缶を手に持って道端で“長崎に教会を建てるためにお願いします”と募金活動をしました。その時は長崎は遠い遠いところと感じていました。しかし、ある日長崎に行きたいと言っている自分の夢を見ました。
19歳になって、グアダルペ宣教会に入会しました。8年間大神学校で学びました。その頃は司祭だけが宣教師として外国へ派遣されていました。でも私は会の総長さまに何度も繰り返し繰り返し“神学生として日本に行かせて下さい。日本人の神学生と一緒に神学の勉強をしたいのです”と頼みました。このようなことは神学校のほかの司祭たちにとって考えられないことでした。メキシコに聖フェリペに捧げられた教会があります。私はその教会に何回も行って、聖フェリペにお願いしました。そして奇跡的に総長さまからの任命があって日本にくることができるようになりました。あれからもう40年です。
ですから、今度の長崎の列福式に出席できたことは感謝のこころでいっぱいです。夢に見た長崎に行くことができました。唯の観光客としてではなく、本当に巡礼者のこころでその式に出席しました。列福式のミサが始まる前に、祭壇の両側に置かれた大きなスクリーンで殉教者の一人ひとりが紹介されました。
千葉寺教会で私に配られたお祈りのための蝋燭に記された殉教者は“アグネス竹田”でした。この紹介で詳しく“アグネス竹田”を知ることができました。アグネス竹田は夫と二人の子どもと一緒に殉教しました。最初に夫の首がはねられ、アグネスはその夫の首を抱きながら踏絵を断り子どもたちと一緒に神さまに命を捧げました。
皆さんは7週間、188殉教者にお祈りをしました。私も祈りました。アグネス竹田の取次ぎを願って、これからの私の人生も日本における主イエス・キリストの教会のために喜びのうちに命を捧げることができますようにと。
8歳のときの長崎に教会を建てようという募金から60年が経ちました。でも私の日本と日本人に対する愛と尊敬の気持に変わりはありません。日本の人々はあの迫害のときに何千人もその命を捧げました。でも現代社会においても命をかけて信仰を守り、その信仰を証しする日本人がたくさんいます。
最後に、かって私は次のように言ったことを思い出し、もう一度くりかえします。“ここ日本には洗礼の水で濡れた頭よりも、キリスト者の心をもっている人が多い。日本における主イエス・キリストの教会には殉教者の血が流れているからです。信徒の信仰の光があり、宣教師の忍耐があります。”
皆さん、今年も待降節を迎えました。この4週間は心の準備の期間です。
主イエス・キリストが一人ひとりの信徒の心に新たに生れ、喜びと家庭の調和、教会の平和がありますよう心を整えてください。
そして、今年もクリスマスと新年が喜びと信仰と希望の時でありますようお祈りいたします。
「シャローム」2008年12月号掲載