復活祭の喜びを生きるためのヒント
マルコ・アントニオ・マルティネス神父
主イエス・キリストの復活の喜びはその日一日だけの喜びではありません。私たちの日常生活の中で、信仰と希望のうちにこれを活かさなければなりません。そのためのヒントが幾つかあります。
1) 死から生命へ
教会の年間の典礼の中で復活祭は第一のお祝いです。死から生命への主イエス・キリストの勝利は、私たちキリスト信者が毎日を復活の生命の喜びのなかで生きていくためのものなのです。その為に心のなかにある暗闇、妬み、日常の煩わしさを取り去って替りに生命の光でその心を満たすときなのです。
2) 偽りから真実へ
ことばと行いは、偽りの無い毎日の生活を必要とします。自分に対して、他の人に対して真実であることによって復活の喜びはもっともっと輝きを増すのです。
3) 自己中心(エゴイズム)から分ち合いへ
自分でこうしたい、あれもやりたい、こんなふうになって欲しいと無い物を求めるよりも、いま自分にある良い物を分かち合うことが大切です。いつでもどこでも、サービス(奉仕)の心で他の人と向かい合うようにしましょう。
4) 多忙から平穏へ
毎日の忙しさのなかで自分のために時間を見つけましょう。そして、日々の生活のなかでその時間をキリストの復活の喜びを味わうために大切にしましょう。
マタイ福音書第5章に私たちが本当の喜びを生きるための主イエス・キリストのことばがあります。今年の復活節においてそのことばを生きていきたいものです。
幸い
こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
(マタイによる福音書(口語訳)5:3-10)
「シャローム」2009年04月号掲載