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感謝と希望

マルコ・アントニオ・マルティネス神父


 信徒のみなさん、明けましておめでとうございます。


 今年の元日は初金曜日だったので、神の母マリアのミサの前にご聖体を顕示して一時間のお祈りをしました。祭壇の上には顕示されたご聖体を囲み六人の天使がロウソクを持って光かがやいていました。そして二本の大きなロウソクには一つは「感謝」、もう一つは「希望」という文字をつけました。


 この感謝と希望のうちに千葉寺教会共同体の新しい年の歩みを始めたいと思います。昨年クリスマスのミサの前に二十分をかけて祭壇後ろの壁にこの一年間の共同体の福音宣教活動の様子を映像で紹介しました。


 この写真の最後のところで、これら一年のすべての活動がクリスマスに向かって、クリスマスに集約されることを良く表現していたと思います。この映像を見た人たちは、本当のクリスマスのメッセージが何かをよく理解することができたと喜んでくれました。クリスマスは教会の歩みの「頂点」であり、「泉」なのです。このクリスマスの喜びのうちに神さまは私たちに信仰の光を与えてくださるのです。そして、その信仰の光のなかで行なったことの全部をごミサにおいて御父に捧げます。


 今年は新しい委員会が発足します。この教会の主任司祭としての私の心にも二つの光「感謝」と「希望」があります。この二年間、私の指示のもと活動してくださった委員の皆さんに感謝。そしてこれから二年間の新しい委員たちに希望。


 主イエス・キリストは神の国のために働くご自分の弟子たちを呼ばれたとき、彼らを喜ばせるような約束をしませんでした。かえって、


「人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。また、あなたがたの中で殺されるものもあろう。また、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。(ルカによる福音書(口語訳) 21:12-19)」


 私も新しい委員のみなさんにこの主イエスの言葉を捧げます。


最後に忘れてならないことは、わたしたち信徒はだれも主イエス・キリストに選ばれているということです。「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである」。


 主イエスにおいて、神に感謝。


「シャローム」2010年01月号掲載

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