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「強い人に屈しない勇気」「弱い人をいたわる勇気」

マルコ・アントニオ・マルティネス神父


 小さいときから神学校に入るまでわたしはイエス・キリストという人の性格に憧れていました。イエスさまの生き方(人生)すべてに男らしさが現れていたからです。主イエス・キリストは社会的に弱い人々をやさしさで包んでくださったからです。


 イエスさまは幼子を抱き上げました。友人のラザロが亡くなったことを知ったときに涙をながされました。重い皮膚病を患わっている人に手を触れて癒してくれました。悔い改めたどんな罪人にも赦しを与えました。いつも真実を語られました。


「(あなたたちは)真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。(ヨハネによる福音書(口語訳) 8:32)」


 一方イエスさまは当時の政治家と宗教のリーダーたちを偽善者といいます。


「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。(マタイによる福音書(口語訳) 22:18)」


「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。(マタイによる福音書(口語訳) 23:13)」


 そして、この後五回も繰り返し、


「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。(マタイによる福音書(口語訳) 23:15、23:23、23:25、23:27、23:29)」


 といわれます。


 現代社会においても普通は強い人の前では頭を下げ、一方弱い人に対しては尊大な態度をとります。しかしイエスさまはそうはされませんでした。イエスさまの態度(生き方)は十字架の死にいたるまで、そしてその生き方ゆえにこそ十字架に付けられたのです。


 わたしは36年間司祭として歩いてきました。その司祭生活の始めから今にいたるまでイエスさまに倣い強い人に屈しない勇気と弱い人をいたわる勇気をもって小さな子どもたち、成人した人々、病気の人、心の悩みのある人を大事にしていきたいと思って活動してきました。


 イエスさまの言葉があります。


「弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう。(ルカによる福音書(口語訳) 6:40)」


 確かに強い人に屈しない勇気を持つこと、弱い人をいたわる勇気をもつことはそんなに簡単なことではありません。でも、イエスさまの生き方に倣って最後まで歩いて行きたいと思います。

「シャローム」2010年02月号掲載

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