ごミサ――泉と頂点――
マルコ・アントニオ・マルティネス神父
第二バチカン公会議の典礼憲章は、ごミサは全教会においてキリスト信者一人ひとりの信仰生活の泉であり頂点であると教えています。
『ごミサにおいて神さまからの最高の恵みがいただけます。それはキリスト信者である私たちの御父の憐れみとキリストの復活の喜びの頂点です。』(典礼憲章10)
ここでごミサの流れを考えてみましょう。
《入祭》 |
(回心)
一人ひとりの信徒は、この一週間で体験した喜びと悲しみを背負ってミサに集まってきます。キリスト信者であっても弱い人間だから神さまから離れたこともあるし、また人の気持を傷つけたこともあります。そして思い、ことば、行ない、怠りによって過ちを犯したことがあるから、共同体として御父に叫びます、「主よ、憐れみ給え」。
(集会祈願)
司祭は信徒を代表して一人ひとりの信者の祈りを一つにまとめて御父に捧げます。
《みことばの典礼》
(聖書の朗読)
預言書、詩篇、使徒たちの書簡から神のみことばを聴き、心の準備をして主イエスの福音を聴きます。そして聖霊の助けのもとに司祭は二千年前に語られたイエスのことばを現代社会に生きている私たちに合うように説教します。
(信仰宣言)
これこそ私たちの信仰、主イエス・キリストにおいて誇りをもって宣言する教会の信仰。(「洗礼の儀式書」より)
(共同祈願)
信仰宣言の後、個人の求めではなく、心を開いて普遍的な教会の兄弟姉妹のために祈ります。
《感謝の典礼》
(奉 献)
天地の創造主である御父は私たち人間から何も必要としません。しかし信徒は感謝をこめて少しのパンと少しのぶどう酒を捧げて、キリストの御体、キリストの御血に変えられるように祈ります。
(奉納祈願)
これが第二回目の祈りで、司祭は信徒を代表して捧物を神さまが受け入れてくださるように祈ります。
(叙唱と聖変化) ここで祭儀全体の中心(頂点)、すなわち感謝と聖別の祈りが始まります。このとき司祭は、キリストの代理者として最後の晩餐の主イエスのことばを新たにします。 「皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしのからだ(である)。」 「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血(である)。これをわたしの記念として行いなさい。」 この時までパンとぶどう酒だったものが聖霊の働きによってキリストの御体と御血になります。司祭はキリストによってキリストとともにキリストのうちに御父を褒め称えます。信徒一同は一つのことば「アーメン」と唱え同意します。 |
《交わりの儀》
(主の祈りと平和の分ち合い)
ご聖体をいただく前に主イエス・キリストが教えてくださった祈りを捧げて自分に対して、また他の人に対して平和な心がありますようにと祈ります。
(聖体拝領)
キリストのご聖体は教会のすべての恵みと力の流れ出る泉です。この泉は私たちの心にあって他の人に分つ義務があります。
(拝領祈願)
祈願の三つ目。司祭は一人ひとりの信徒が聖霊によって証しができるように、そして体験したキリストの復活の喜びを他の人に分かち合うように祈ります。
《派遣の祝福》
ごミサは終わります。いただいた力と光の証し人となるように私たちは派遣されます。
『司祭キリストとそのからだである教会のわざである典礼の行事は、すべて、卓越した聖なる行為であって、その効果においては、教会の他のいかなる活動も、同等の理由や程度でこれに匹敵するものはない。』(典礼憲章7)
「シャローム」2011年08月号掲載