愛の分かちあい
マルコ・アントニオ・マルティネス神父
「『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。」
(マタイによる福音書(口語訳) 25:34-40)
帰天のときに、上の言葉で主イエスが迎えにきてくださったら、永遠の幸せです。
先週、4回目のカトリック宮古教会のわかちあいマーケットのために、神様からいただいたものを支援として送りました。 この日本の空の下で、日用のものを必要としている兄弟姉妹がたくさんいます。 |
「チャリティ(charity)」という言葉があります。ラテン語の「カリタス(caritas)」が語源です。ギリシャ語では「アガペー」。それは、「神の愛」を意味する言葉です。
使徒パウロは、この愛がどのようなものか、くわしく教えてくださいます。
「たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」 (コリント人への第一の手紙(口語訳) 13:3-7) |
主イエスの叫びに応えようという姿勢こそが、愛の分かちあいなのです。
「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。」
「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。」
(ルカによる福音書(口語訳) 6:36,38)
神に感謝。
「シャローム」2011年06月号掲載